周りに影響を与える人を、私たちは「自燃人」と呼びます。記念すべき1回目は、東京・日の出町にある食品加工会社、多摩フードサプライの菅野さんにお話を伺いました。取締役として経営に携わりながら、ご自身の人生経験では大変な病との闘いもありました。「明るく楽しく 仕事は厳しく」をモットーに、家族のような会社を作り出しています。
量販店とメーカーを信頼でつなぐ会社
多摩フードサプライは、主に量販店に向けたメーカー様からの食品をチルド・冷蔵・冷凍・超冷凍の各温度帯で預かり、受注に応じて毎日出荷をしています。また真空やリパックをする製造加工ラインを持っています。
年末の忙しい時季に入ると、取締役の菅野さんも庫内作業を手伝うこともありますが、普段は業績管理やシステム管理を担っています。
精密機器輸送のグループ会社から2019年10月に転籍をして、短期間で責任ある立場をまかされたのは、関わる周りの人から信頼を集める「自燃人」であったからでしょうか。
いつもポジティブな菅野さんを支えているのは、過去の辛い経験も関係するようです。
大病との闘い
菅野さんは2012年、奥様と行った血液検査で大きな病気が見つかりました。今は内服での治療もできる病気ですが、当時は週一回の注射治療が必要でした。長期的につきあう病気の発症に、「妻はショックで涙を流し、自分はただただ呆然としていた」のだそうです。
治療中は、薬の副作用がおそってきました。毎日38度前後の熱とだるさ、めまい、息切れ。自宅で急に体が硬直し、その場に倒れこんだことも。一方で会社では毎日明るく元気な姿を見せ、休むことはなかったそうです。「医者には注射後に会社に戻るなんて絶対ダメ!と叱られていましたけど」と当時を思い出してやわらかな笑顔の菅野さん。
治療が終わり、菅野さんが職場の仲間に語ったのは、「迷惑をかけてしまいましたが、最高の経験ができて、幸せです。誰でも経験できることではないので、伝えられることが増えて、よかったです」という言葉。病気を経ても、仲間の菅野さんへの信頼は深まっていきました。
病とのつきあいが自分を成長させた
そんな大病につながる持病が、菅野さんにはありました。先天的なもので幼少期に手術での処置はしたものの、手術跡や成長と共に付き合っていく症状があり、少年期は友達からいじめられることも経験しました。
母親も応援に来ていた小学5年生のサッカーの試合の日。準備体操中に病気の症状が出てしまい、試合前に帰らなければならなかったことがあったそうです。
チームとしても大事な試合を母親だけが見届けました。菅野少年に対する仲間からの愚痴を受け止めて帰宅した母が泣きながら「私のせいで、ごめんね」と抱きしめてくれた時、「自分の中で『みんなが悪いわけではない、すべて自分の努力が足りないから』という強い気持ちが生まれた」と、菅野さんは振り返ります。
サッカーをする際の意識やトレーニング方法の向上、食事を含めた体調管理も勉強しながら改善していき、青年期に出会った友達とは固い絆で結ばれました。「いじめや敬遠してくれた人も大切。今の自分があるのは、今まで関わってくれたすべての人のおかげ」。
2018年、企業の感動物語コンテストで自らの病をカミングアウト。ハンデを持っても活躍できた自分を見せることで誰かの役に立ちたい、と思ったのだそうです。
「一時は『なんで自分だけ…』と悩んだこともあり、今でも苦しむ機会はあります。でもこの身体のおかげで、多くを経験できたのも事実。出会えた家族・仲間、すべてに感謝して、みんなも自分も幸せにしたい」。
限られた人しか経験しない過去があったからこそ、家族のようなあたたかさと取引先を支える厳しさをもつ多摩フードサプライを作り出しているのです。
多摩フードサプライ
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